ほぼ40年が経過した現在、彼女のストーリーが私たちに語り、教えてくれることは何でしょう?
どうして彼女のひどい気分の波がなくなったのか誰にもわかりません。なくなったということがわかっているだけです。彼女の気分がひどく揺れることがなくなっていることに病院のスタッフが気がつきました。実際、彼女は他の患者の世話を手伝っていました。
私は母と、どうして良くなったのか、何が変化をもたらしたのかについて何時間も話しをしました。実際、彼女は私の二つの調査にひらめきを与え、そこに登場します。私の調査は抑うつと躁うつの経験を持つ人たちが、どのようにして毎日を過ごし、元気であり続け、人生の主導権を取り戻したのかについて調べたものです。これらの調査から得た情報を基に私は本を書きました。The Depression Workbook: A Guide to Living With Depression and Manic Depressionと、Living Without Depression and Manic Depression: A Guide to Maintaining Mood Stability.
前にも書いたように、彼女の最初のエピソードの前の生活はストレスが多く、ほとんどサポートのない状態でした。入院中もほとんどサポートを受けていませんでした。しかし入院の後半近く、いくつかの変化がありました。
病院のボランティアの一人とスタッフの一人が、彼女に特別な関心を寄せ始めました。何時間も彼女の話に耳を傾けました。彼女は自分の話をすることになれていなかったので、「話しすぎてごめんなさい」と謝って、語りを中断することがよくありました。しかし、この二人の献身的なサポーターは、彼女に話し続けるようにと励しました。文字通り終わりまで何時間も。彼女は初めて「聞いてもらえた」という感じがしたといいます。
病院でのエピソードの合間に、彼女は精神病患者による精神病患者のための、たぶん初めてかもしれないサポートグループを開始しました。「メンタルヘルスの仲間同士」と呼ばれていました。彼女はそのグループを彼女に理解のある精神科医の力を借りてはじめました。病院から退院した後でさえも、彼女は定期的に病院に行き、サポートグループの集会に参加し、入院中に家族のようになった患者仲間を訪問しました。
因果関係は、わからないのですが、彼女が変化したことに無関係とは思えないような出来事もありました。看護師の一人がこっそりと大量の複合ビタミン剤を与え始めたことです。たぶん、うまくいかなくなっていた体内の化学物質が回復したのでしょう。誰にもわからないことですが。
おそらく、彼女は強い意志と決意によって元気になったのです。薬のせいでないことはわかっています。その当時、躁うつの治療に効果のある薬はありませんでした。誰も、自分でできるセルフケアの方法について教えてくれる人はいませんでした。
退院してから彼女はいくつかの厳しい現実に直面しました。それらはあまりにも酷で私たちの多くであったら感情が激しく揺れてコントロールを失い、寒々とした病院の安全の中に走って逃げたくなるようなものさえありました。母はサポートが大切だという感覚を持っていたようです。これは1955年のことで、「精神病」になった人が元気になるためのサポートなど、考えも及ばなかった時代です。しかし、なぜか母はそれが彼女の元気を保つのにどれほど大切かを知っていました。